囲炉裏端から

主として趣味に関わる様々な話題を、折に触れてエッセイや紀行文の形で自由に書いてゆこうと思っています。過去に書いた文章も適宜載せてゆきたいと考えています。

突然、人の姿。何か不思議な気がする。現実に引き戻されたやうな、そこにあるべきでないものを見たやうな・・・「すみません。通らせて下さい。」「どうぞ」「釣れますか。ヤマベですか」「ええ。釣れませんね。どこから来たんですか「鮭鱒孵化場近くの烏柵舞橋からです」「さうですか。気を付けて」「はい。それぢや、失礼します」釣り人は無言で軽く頭を下げ、竿を引き寄せ、再び川の中へ糸を垂れた。何億分の一かの確率で私とこの人とは出会った。恐らく、二度と再び会ふことはないだらう。もし万が一出会ふことがあっても、お互にわかりはしないだらう。或いは、きのう街角ですれ違ったあの人が実はこの人であったかもしれないのだが・・・とてもいい人だった。幼な児のやうな素直な気持ちになって、私はさう思った。自然の中に一人でゐると、人間はこんなにも謙虚になれるのだ。本当の人間になれるのだ。

 相変らず豊かな緑、ゆるやかに曲がりながらゆつたりと流れる川・・・両岸には、大小様々な樹木、草・・・千変万化する緑の交響曲、否、緑の室内楽、然り、この静けさと豊かさは寧ろ、絃楽四重奏の世界である。深い草木の静寂に聴く、「器楽的幻覚」・・・心の中に音楽を聴きながら私は流れて行く。手を休めて流れに身を任せたり、漕いだりしながら、川を下る。流れるものの美しさ・・・

ふと見れば一瞬たりとも絶えることなき川の流れ、時の流れ・・・長い長い気の遠くなるやうな地球の歴史、それに比べればまさしく一瞬とも言ふべき人類の歴史、その中にゐる微小なる自分、その一生の中の一日、その一日の何時間か・・・「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びてとどまりたるためしなし」気がつくと、この一節を私は何度も心の中で呟いてゐた。我々凡人に独創的な考へなどといふものはない。全ては嘗て誰かによって考へられ、表現されたものなのだ。さう思はれてならない。「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎()かず。」「萬物は流転す。」それは洋の東西を問はない。進歩も発展もない。流れと変化と循環とがあるだけだ。

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