囲炉裏端から

主として趣味に関わる様々な話題を、折に触れてエッセイや紀行文の形で自由に書いてゆこうと思っています。過去に書いた文章も適宜載せてゆきたいと考えています。

 20日、今年初めてのツーリングに行って来ました。目当ては「見晴らしの松」(当別町)と呼ばれる推定樹齢1300年(案内板による)の一位の巨木。北海道ではオンコと呼ぶ方がとほりがいいかもしれません。毎年必ず何回かは見に来るのですが、いつ見ても、何度見ても、本当に神々しいとしか言ひやうのない聖樹です。雪の重みに耐えかねてかなりの太さの枝が折れて、地面に転がってゐました。去年最初に訪れた時もさうだつたやうな気がします。「或いは毎年毎年、1300回も同じやうなことを繰り返しながら、この木はここを一歩も動くことなく生き続けて来たのか・・・」さう思ふと何とも言えぬ不思議さに打たれます。心を動かされます。言葉にできぬ生命の不思議・・・
 暫くはそこに佇み、様々な物思いに沈んでゐました。さうして、ふと我に返り、今年一年の無事安全を祈り、「再会」を約してその場を立ち去つたことでした。 

 今日も雨が降ったりやんだり・・・どうもはっきりしない天気が続きます。さうして、九州では大変な事態が・・・人間と風土の関わりについてつくづく考へさせられる今日この頃です。


-木の舟、鐵の馬  第三部- (6)


それにしても、この心のゆとりは何だ。この靜けさは何だ。この寂しいまでの落ち着きは・・・浮世離れ、といふものか。これも惡くはない。さて、一休みするか。慌てることもない。けふもこの川を下つてゐるのは恐らく俺一人。到着時刻が決まつてゐるわけでもなく、スピ-ドを競つてゐるわけでもない。前から來る舟もなければ、後ろから追つて來る舟もない。車もない、家もない、人もゐない・・・あるのはただゆつくりと流れる時間・・・川を見る、木を見る、雲を見る、空を見る・・・ただそれだけだ。思へば、何といふ無駄、何といふ愚かさ・・・

 

 かうして今日も時は流れ川は流れ・・・

 -木の舟、鐵の馬  第三部- (5)

 大きく川が右に曲がる。突然、前方に大きな木。澤山の蔓性の植物が絡みついてゐる。日の光を浴びて美しい。この木を左に見ながら、舟を漕ぐ。相變はらず狹い流れ。然し、視界が次第に開けてくる。時折、左岸に廣大な濕原の廣がりをる氣配す。さうして、右岸には人間たちの匂ひ。どうやら國道が近いらしい。微かに車の音らしきものが聞こえてくる。突如として頭上に轟音。空に大きなジェット機。不思議な氣がする。その車にも、あのジェット機にも、人が乘つてゐるのだ。誰かが操つてゐるのだ。一體何を考へてゐるのだらう、何を思つてゐるのだろう・・・思はず苦笑す。そこには時速七、八十キロで走る車、あそこには、音速の何倍かで飛ぶジェット機、さうしてここには、誰にも知られず時速三、四キロで川を下る人間・・・ここには原始、かしこには文明。我ながら、何といふ物好き、何といふ時代錯誤!神が見たら笑ふだらう。人間といふものは何と面白いものなんだらう、と。

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