囲炉裏端から

主として趣味に関わる様々な話題を、折に触れてエッセイや紀行文の形で自由に書いてゆこうと思っています。過去に書いた文章も適宜載せてゆきたいと考えています。

 第3日「白河の關」の続きです。 私の「巨樹巨木」好きの原点はここにあるのかもしれません。

「奧の細道」を行く  -木の舟、鐵の馬  第二部-(12) 


 木を見ながらゆつくりと歩く。「奧の細道」碑。「心もとなき日數重なるままに、白河の關にかかりて、旅心定まりぬ。・・・」何とも趣の深い、心にしみ入る一句ではある。ここから先は、文字通り「みちのく(道の奥)」なのである・・・現存する最大の俳人の一人、加藤楸邨氏の揮毫なり。(この時は知らなかったが、楸邨氏は、「奥の細道」全行程を辿つてゐる由、流石は楸邨と感嘆久しうしたことであつた。)

 

 と、目の前にそそり立つ大木。樹齢八百年と言はれる杉の巨木である。この八百年の間この木は一體何を見續けて來たのであらうか。せいぜい八十年の壽命しか持ち得ぬ我々の到底思ひ及ばざるところではある。しかし、恐らく、一つだけ確かなことは、丁度三百年前、芭蕉と言ふ名の一人の旅人をこの木が見たといふことだ・・・さうして、その時芭蕉は、一體何をこの木に見たのか。何を思ひ、何を考へたのか・・・暫しこの巨木の前に佇んでゐるうちに、曰く言ひ難い不思議な氣分になる。思へば、私も、芭蕉を見たその同じ木に見てもらふことができたのだ。有り難い。木の命のすばらしさ・・・

 いつしか、肌寒くなつてくる。そして、亭々たる松の大木。人滅び、巨木殘れり。謂はれのある松、櫻の古木、また趣あり。終に誰とも會はなかつた。

 そろそろ旅も終はりに近づいて来ました。先を急ぎます。第3日「白河の關」の続きです。

 

「奧の細道」を行く  -木の舟、鐵の馬  第二部-(11) 

ここもまた蝉時雨、室の八島ほどではなけれども。趣深し。社の森といふ風情なり。日の光も木々に遮られて、ひんやりとするほど涼しい。靜かなり。古びた粗末な神社と幾つかの碑(いしぶみ)・・・先づ、三首の古哥を刻んだ小さな歌碑。眞ん中の一首だけが、辛うじて讀める。(と言ふよりも、暗記してゐるので分かる、と言ふべきか)

 

   たよりあらバいかで都へつげやらむ

   けふしら河のせきはこえぬと    平兼盛

 

   みやこをバ霞とゝもにたちしかど

   あきかぜぞふくしら河の關     能因法師

 

   秋風に草木のつゆをはらハせて

   きミがこゆれバ關守もなし     梶原景季

 

 能因法師の歌、甚く心にしむ。千年前の旅が思はれる。(能因は、永延二年-九百八十八の生まれと言はれる)千年前、この邊りは一體どんな所だつたのだらうか。どんな人が住み、どんな花が咲き、どんな風が吹いてゐたのであらうか・・・心がひたすら遠くへ向かふ。「歌枕」といふ言葉のゆかしさ・・・ここには何もない。何も要らない。ただここが「白河の關」である、と言ふことだけで十分なのだ。

 

 

 真冬日でないとこんなにも暖かいものなのか・・・このまま大雪が降ることもなく春になってくれればいいのですが・・・

「奧の細道」を行く  -木の舟、鐵の馬  第二部-(10) 

と、思ふ間もなく、村を通り抜け、道の左手に、鬱蒼とした森、古びた石柱。ここか。石柱には、白河神社とあり。一歩中に入ると、左手、愼ましい木の柵の傍らに、「おくのほそ道」の石柱。これまた、小さく愼ましい。それが何ともいい。この忘れられたやうな風景に似つかはしい。この旅において初めて見た、「奧の細道」の文字。その向ふには、赤、黄、紫の花。聊かの感慨無きにしもあらず・・・右手に「國史跡 白河關跡」の説明板。まさしく、白河の關なり。到頭、ここまで來たか。説明を讀むのももどかしく、更に中へ。石柱、「史跡 白河關」。漠然と、道をふさいで立つ大きな「關所」を想像してゐたが、思へばそのやうなものが今に殘つてゐるはずもない。人間すら殆どゐはしない。 

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