囲炉裏端から

主として趣味に関わる様々な話題を、折に触れてエッセイや紀行文の形で自由に書いてゆこうと思っています。過去に書いた文章も適宜載せてゆきたいと考えています。

 毎朝庭に出て歩くのが習慣になつてゐます。さうして、姫リンゴと白木蓮の木に触り、語り掛けます。この頃、白木蓮を見上げると、早くも花の莟をつけてゐます。「ああ、もう春の準備をしてゐるのか!何といふ自然の不思議さ!偉大さ!」

 
 数日前、ふと窓の外を見ると、雀が二羽電線に止ってゐました。「この冬の最中(さなか)に彼らは一体どうやって生きてゐるんだらう・・・何を食べ、どこで寝てゐるんだらう・・・本当にえらいもんだなあ!それに比べて我々人間は、いや、この俺は一体何をあくせく・・・」さう思ふと、急に自分の小ささが身に沁みてきました。こだわりや小さな悩みごとがどうでもいいものに思はれてきました。

 
 書斎の机の上に、幾つもの小さな石とアンモナイトの化石と磁石がおいてあります。読書に疲れると時々石やアンモナイトを手に取って眺めます。さうすると、不思議と心が軽くなります。爽やかな気分になります。この石やアンモナイトは何億年前のものなのか・・・それを見てゐる、長く生きてもせいぜい百年の我々・・・何とちっぽけな人間といふ生き物・・・このアンモナイトは何億年か前、確かに生きてこの地球のどこかで暮らしてゐたのだ・・・」さう思ふと不思議でななないのです。

 今年も明日で終はり・・・ 本当に早いものです。お互い、来年も健やかでありますやうに!

 昨日は大東流の稽古納めでした。早いもので入門以来もう八年目に入ってゐます。合気とは何か・・・おぼろげながらも少しづつ見えて来たやうな気はしてゐますが、やはり何とも摑み処のない不思議なものだと思ひます。
 力を入れるのではなく、抜くことによって相手に伝はり、相手を制する、目に見えぬ不思議な力・・・体の内部から発する、筋肉の力ではない力・・・今のところ、それを確認できるのは、私に攻撃を仕掛けて来た相手が私の技によつて「崩れて行く」その姿によつてだけです。時にはもどかしいこともありますが、少なくともその力が確かなものとして実感できるその日まで 稽古を続けて行きたいと思ってゐる今日この頃です。
 
クリスマスの日、大東流の兄弟子であり、私の尺八の弟子でもある、アイルランド人の知人からクリスマスカードが届きました。今はアイルランドに住んでゐますが、日本在住の折には6年間一緒に稽古に励んだ大切な友人です。両方に対して非常に熱心な「外人」でした。ある意味では、普通の日本人以上に日本の伝統文化を愛してゐる人でした。自国の文化、特に伝統的な文化を知らずして、真の国際人にはなれないと信じてゐる私にとつて、非常に貴重な示唆的な存在でした。
 現代の日本人は、自国の伝統的な文化を忘れすぎてゐるのではないでせうか。英語が話せることは勿論大切なことだとは思ひますが、それよりも英語で伝へるべき何ものかを持つてゐることの方がより大切なのではないでせうか。例へば、アイルランド人に芭蕉のことを聞かれてなにも答へられないやうでは恥づかしいと思ひます。逆に、もしアイルランド人にイェーツのことを聞いた時に、何も答へられなければ、少なくとも私は失望します。国際的な時代になればなるほど、自国の文化、特に伝統的な文化に対する理解と愛情とは必要不可欠なものだと思ひます。ローカルな地盤のないグローバルは、単なる根無し草なのではないかとさへ思はれることがあります。
 
今年は、アイルランドが生んだ偉大なノーベル賞受賞の詩人イェーツ生誕150年の記念すべき年。彼が久しぶりで日本に帰って来るといふことを聞いて、イェーツ詩集を買ってきてほしいと頼んでおいたところ、実にすばらしい瀟洒な詩集を買って来てくれました。和訳を参考にしながら、少しづつ読んでゐるところです。また、久しぶりで、一緒に大東流と明暗尺八の稽古もしました。何年先になるかわかりませんが、再び彼に会ふ時には、さういった色々な話をしたいものだと楽しみにしてゐます。

 
 
  

 先ほどの文章中、アインシュタインの公式は、
 「E=m×cの二乗」なのですが、「cの二乗」 をうまく書けませんでしたので
 訂正しておきます。 

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