囲炉裏端から

主として趣味に関わる様々な話題を、折に触れてエッセイや紀行文の形で自由に書いてゆこうと思っています。過去に書いた文章も適宜載せてゆきたいと考えています。

 旅に出ると人は本来の自分に戻ることができるやうだ。少なくとも、いつもは気づかぬ新しい自分に出会ふことができるやようだ。然も旅は、人を「自然の中にゐる本来の自分」に戻してくれるとさへ思はれる。 ここ十年ほどの間に、私は何度か旅に出た。鉄の馬と私が呼ぶオートバイに乗って、この北海道の地を殆ど隈なく旅した。九州のほぼ全域を野宿しながら旅した。さうして、昨年は、「奥の細道」の旅程を忠実に辿るべく江戸から仙台までを旅した。


(
) 川の旅

 人は船に乗って川に出ると原始人に戻る。それが私の最初の思ひであった。川は岸から眺めてゐた―見下ろしてゐた時とは全く別の表情を見せる。高さ僅か二十七糎のファルトボート(折り畳み式カヌー)に乗った私は、水面から逆に岸を、岸辺に生える草木を、空を飛ぶ小鳥達を、見上げることになるのである。圧倒的なまでのその視点の移動・視線の逆転!私は一挙に非日常的な空間の中に置かれる。一気に幼い日の自分に戻る。幼児にとって自分の前にある多くのものが巨大であるやうに、舟に座った私にとつて、自然は恐ろしい位に大きく、深く、豊かに見える。それは恐らく原始人にとっての自然に他ならないだろう。

 すっかり御無沙汰してゐます。何となく慌ただしい日々が続いた上、暫く風邪気味でした。先日、ふと30年ほど前の川旅の記録を読み返し、懐かしさのあまり、連載することにしました。

【川の旅・水の旅】千歳川を下る(1)
(一) 旅様々 

旅に出ると人は本来の自分に戻ることができるやうだ。少なくとも、いつもは気づかぬ新しい自分に出会ふことができるやようだ。然も旅は、人を「自然の中にゐる本来の自分」に戻してくれるとさへ思はれる。

 ここ十年ほどの間に、私は何度か旅に出た。鉄の馬と私が呼ぶオートバイに乗って、この北海道の地を殆ど隈なく旅した。九州のほぼ全域を野宿しながら旅した。さうして、昨年は、「奥の細道」の旅程を忠実に辿るべく江戸から仙台までを旅した。時恰も元禄二年(一六八九)から三百年。いつの日にか。芭蕉が歩いた全行程を辿ってみたいと思ってゐる。それにしても、芭蕉の何たる偉大さ。私は何度も、鉄の馬を降り、芭蕉と同じやうに日本の自然の中をこの日本の足で歩いてみたいといふ衝動に駆られた。歩くことの大きさと深さ・・・土を踏みしめつつ物思ふことの曰く言ひ難きすばらしさ・・・

 先日、「大原美術館展 Ⅱ」を見に行って来ました。1920年代のパリで活躍したヨーロッパと日本の画家達の絵画を中心に、71の作品が展示されてゐました。ルオー、マティス、マイヨール、シャガール、ミロ、藤田嗣治、佐伯祐三、小出楢重、岸田劉生、棟方志功・・・たくさんの素晴らしい作品に出会ふことができ、得難いひと時を過ごすことができました。美術展を見終はった後の、あの満ち足りた気持ちは中々言葉では表現できません。
 だからこそ、「芸術」といふものがあるのかもしれません。美術、音楽、文学・・・一時日常を離れて、何かに接し、何かを得て、また日常へと帰って来る・・・
 そんな繰り返しの中で私達は一日一日を過ごしてゐるのかもしれません。日常と非日常との微妙なバランスの中にこそ人生はあるのかもしれない。そんなことを考へさせられた一日でした。

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