このブログを始めるに際して、「以前書いた文章も適宜掲載して行くつもりです」といふやうなことを書いておきましたが、「適宜」載せて行かうとするとどうも間延びしてしまふやうです。そこで、旧稿については、新たに「文蔵(ふみくら)から・・・旧稿再録」といふ形で、余り間のあかぬやうに掲載して行かうと思ひますので、よろしくお願ひします。
 では、早速 、『「奧の細道」を行く』の続きから。


 「奧の細道」を行く  -木の舟、鐵の馬  第二部-(3)

   (五)日光 (東照宮~裏見の瀧)   (第二日)

 「室の八島」を出發、日光へと向かふ。暮色やうやく濃くなりつつあり。日光街道杉の竝木道、餘りに見事なり。何度か道を間違へながらも、やうやく日光に着く。既に黄昏時先づ、二荒山神社に參拜す。戻る。東照宮寶物館の傍ら、もみぢの大木の側に句碑あり。    芭蕉翁おくの細ミち日光山吟

  あらたふと青葉若葉の日の光

 心靜かなり。感動す。「今度來る時は、芭蕉と同じやうに、初夏、光滿ち溢れるころに・・・」などと、暫く物思ひにふける。杉木立また見事なり。

 

 東照宮を見る。あまりのつつましさ、小ささに驚く。間違つたのではないかと、人に尋ねたほどである。寫眞から想像してゐた大きさ、けばけばしさはない。却つて、親しみさへ覺えた。百聞は一見に如かず、である。

 

 裏見の滝を見る。既にほの暗し。オートバイを降りてから、細く險しい山道を十分以上も歩き、やうやくたどり着く。まさしく深山幽谷、いとも見事なり。甚く心動かさる。大きさはさほどならずも、その嚴しさ、激しさに心洗はるる思ひす。人一人をらず。茫然として見つめるのみ。鬱蒼たる木々また深し。古人も神の瀧と思ひしならむ。既に暗し。歸り道など何か恐ろしきほどなり。途中、時折見える川の流れ、また清冽なり。

 先程の場所まで戻り、オートバイを見たときには、ほつとした。こいつだけが俺の旅の友なのだ。夜。北海道ならもっと暗いに違ひない。