【還暦記念ツーリング。本州・四国の旅】(第58回)
熊楠は、この他にも「本草綱目」、「諸国名所図会」、「大和本草」、「日本書紀」、「徒然草」、「山海経」等々、枚挙に暇がないほどの写本を作ってをり、それは謂はば「熊楠学」の原点であると共に生涯変はらぬ方法論でもあつた。事実、八年に渉るロンドン遊学中には、かの大英博物館閲覧室に毎日数時間も通ひ詰め、十数カ国語を理解したとも言はれる超人的、驚異的な語学力を駆使して、文字どほり古今東西の文献を渉猟し、実に全五十二巻一万ページ()にも及ぶノオトの山を築き上げたのである。大英博物館閲覧室の蔵書は、その数実に百五十万冊、まさしく古今東西に渉つてをり、その宝の山に若き日の熊楠は果敢にも挑んだのである。その数を思へば、熊楠が筆写し得たのはほんの一部かもしれぬ。しかし、それは熊楠以外の誰一人として為し得ぬ、否、夢想だにせぬ不滅の超人的な偉業ではある!それは、世に「ロンドン抜書」と称されるものであり、量の余りに膨大、内容の複雑多岐なるによつて、未だにその全容は解明されてゐない。畏るべし、熊楠!

それら膨大な写本の原本の一部がここに展示されてゐる。楽しい!胸が高鳴る!心が躍る!時間が幾らあつても足りない!「日本人の可能性の極限」どころではない。「人類史上最大の天才」なのではないか、少なくともその一人なのではないか。さう思ふ。自分が熊楠と同じ日本人であることが無性に嬉しい。誇らしい。