囲炉裏端から

主として趣味に関わる様々な話題を、折に触れてエッセイや紀行文の形で自由に書いてゆこうと思っています。過去に書いた文章も適宜載せてゆきたいと考えています。

2016年03月

 この記事を投稿したつもりでゐましたが、先程未投稿だつたことに気付きました。順序が入れ替はって読みづらいと思いますが、お許しください。

もうあれか何年経ったことか・・・
美々川もウトナイ湖もあの日のままで変わってゐなければいいのだが・・・

     美々川からウトナイ湖へ     
  -木の舟、鐵の馬  第三部- (2)


 (三) 美々川へ        

  さて、どうしようか・・・本當に靜かだ。美々川はどこにあるのか。勿論下調べなど碌にやつてはゐない。美々は小さな町、美々に行けば當然美々川はわかる。萬一わからなければ誰かに聞けばいい。さう思つて來たのだ。然し、この靜けさはどうだ。川の音もしなければ、人の聲も聞こえない。近くに電話もない。一體どうすればいいのだらう・・・

 暫く考へる。ともかくも周りの樣子を見てみよう。やはり誰もゐない。しようがない。ヒッチハイクしかないか。三十キロ近い荷物を擔いで(一部は手に持つて)歩く。車も來ない。困つた。時折休みながら歩く。やうやく一臺。美々川の事を聞く。よくわからぬ、と言ふ。三、四臺目でやうやく「たしかあつちのはうだ」と教へてくれる。さうして、親切なことに、「丁度そつちの方へ行くところだから乘せて行つてやる」と言つてくれる。有り難し。これで何とか行けさうだ。

 今日の札幌は雪が降ったりやんだり・・・もうそろそろすっかり雪が融けるかと思ってゐたのですが、中々さうは行かないやうです。今年は久しぶりでカヌーにも乗ってみようと思ってゐます。ふと川下りに熱中してゐた日々を思ひ出しました。そこで・・・

 美々川からウトナイ湖へ

            -木の舟、鐵の馬  第三部- (1)

                           

 

   (一) 初めに  

 あれから二年以上の月日が流れた。川の流れよりも速い。今や私は不惑を目前に控えてゐる。ゆつたりと年を取る爲にも、あの浮世離れしたやうにゆつくりした美々川の流れを、できるだけ精確に思ひ出してみよう。     

 

   (二) 美々へ         

 

 十月の或る日、早起きして、先づ札幌へ向かふ。札幌驛の階段の上り降りが辛い。大きなキャリングバッグを背負ひ、手にも荷物を持つた私を、人々は驚いたやうに見つめる。簡單な朝食の後、汽車に乘る。札幌發九時半。久し振りの汽車の旅・・・心が和む。北海道の秋・・・心が靜かに落ち着いてくる。木々が色づき始めてゐる。樣々な思ひが去來する。今日の川はどういふ川だらう。一體どんな事が起こるのだらう。考へるだに心が時めいてくる・・・今日もかうして、私は少年に戻る。美々着十時半。無人驛。誰もゐない。降りたのは私一人。乘つた人もゐない。ゆつたりと荷物を下ろし、椅子に腰掛ける。

 



 

 このところ4月からの「新企画」でちょっと忙しく、御無沙汰してゐました。地域に密着した小規模な塾のやうなものを始めようと思ひたち、あれこれと動いてゐました。さて、どうなりますか・・・
 今日は久しぶりでクラシック音楽を聴きました。チャイコフスキーの「第4交響曲」です。演奏は、フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルのモノラルLP。純音楽的で即興性に満ちた素晴らしい演奏でした!録音も70年近く前のものとは思へぬ生々しさです。 
 先日、無類のクラシック音楽マニアだつた宮澤賢治が、この曲の第4楽章を聴いて「此の作曲者は実にあきれたことをやるぢゃないか」 と言ったといふことを知り、それ以来気になってゐたのです。確かに斬新で迫力に満ちた楽章です。
 雪は殆どが融けました。いよいよバイクシーズンの到来。晴れれば走り、雨が降れば読書かクラシック音楽といふ日々がまたやって来ます。心が弾みます! 

一昨日の続きです。

 「事実の重さ・・・書簡を読む楽しみ」(2)

 随分前に、西田幾多郎の本は何冊か読んだが、この近代日本を代表する大哲学者の人生がこれほど苦難に満ちたものだとは想像だにしてゐなかつた。さうして、ところどころに差し挟まれる短歌の数々・・・これまた意外であつた。日記と伝記を是非読んでみたい。

 若い頃、特に大学時代、熱心に読んだ小林秀雄。最近、ふとしたことから、全集所収の『ゴッホの手紙』を読んでゐる。或いは再読かもしれない。これは面白いと言ふより寧ろ苦しい。余りにも悲劇的なゴッホの人生が迫って来て苦しい。「人はかうまでして絵を描かねばならないのか・・・かうまでして生きねばならないのか・・・」どうしてもそんなことを思はずにはゐられない。そんな手紙の数々である。小林秀雄による手紙の長い引用と評論とから成ってゐるのであるが、いつの日にか『ゴッホ書簡全集』を読んでみたい。

(注1)  一昨日の文章中に「エリス」と書いたが、それは鴎外の『舞姫』の中での名前であり、正確には「エリスのモデルとなった女性」とでも書くべきであつた。

(注2) 同じく、鴎外と漱石の語学力を比較して書いた部分があつたが、筆者の真意は「留学当初の会話力の違ひ」といふことにあるのであつて、両者の「語学力そのものの比較」にあるのではない。言ふまでもなく、両者の本質的な語学力は、ともに恐るべき高度なものであり、真に驚嘆すべきレヴェルであつたと思はれる。筆者の知る限り、この両者に匹敵する程のレヴェルだつたのは南方熊楠くらゐであらう。
 

 春が近づいて来てゐます。時折雪が降りますが、雪かきは殆ど必要ありません。今年はいつになく雪が少なく、本当に楽でした。庭の木々には花の芽がついてゐるのが見えます。何といふこともなく心が弾んで来ます。私もこの辺で気分一新。新しく書き下ろした文章は一括して【筆任せ・・・文蔵へ】、以前書いた文章は【文蔵から・・・旧稿再録】として、また少しづつ載せて行きたいと思ひます。先づは、最近の「読書メモ」から・・・

「事実の重さ・・・書簡を読む楽しみ」(1)

 現在、『漱石全集』、『西田幾多郎全集』所収のそれぞれの「書簡集」を読んでゐる。実に面白い!先日何年がかりかで『鴎外全集』所収の「日記」を全て読み終はったが、これまた実に面白かった!特に面白かったのはドイツ留学に纏はる『独逸日記』、『還東日乗』(帰り)、『航西日記』(行き)の日記。さうして、それらとイギリス留学時代の漱石の書簡の対比。ドイツ語でドイツ人と議論し、ドイツ人の前で演説までして称賛される鴎外と英語が自由に話せず、聞き取れず、下宿に引き籠る漱石。『舞姫』のモデルとされるエリスと恋愛し、日本にまで追って来られた鴎外と大学へも行かず本を買ひ集めるばかりで、一時は発狂したとまで言はれた漱石。二十代で独身だつた鴎外と三十代で既に妻子ある身だつた漱石、といふ違ひはあるだらうが、この明治を代表する、否、近代日本を代表する二人の巨人、余りに偉大な二大文豪・大思想家のこの違ひは何なのか・・・興味は津々として尽きない。近いうちに、『鴎外全集』所収の「書簡集」を読み始めるつもりである。恐らく、更に興味深い様々な事実が浮き彫りにされるはずである。楽しみでならぬ!                          

 

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