もうあれか何年経ったことか・・・美々川もウトナイ湖もあの日のままで変わってゐなければいいのだが・・・
美々川からウトナイ湖へ -木の舟、鐵の馬 第三部- (2)
(三) 美々川へ
(三) 美々川へ
美々川からウトナイ湖へ
-木の舟、鐵の馬 第三部- (1)
(一) 初めに
あれから二年以上の月日が流れた。川の流れよりも速い。今や私は不惑を目前に控えてゐる。ゆつたりと年を取る爲にも、あの浮世離れしたやうにゆつくりした美々川の流れを、できるだけ精確に思ひ出してみよう。
(二) 美々へ
十月の或る日、早起きして、先づ札幌へ向かふ。札幌驛の階段の上り降りが辛い。大きなキャリングバッグを背負ひ、手にも荷物を持つた私を、人々は驚いたやうに見つめる。簡單な朝食の後、汽車に乘る。札幌發九時半。久し振りの汽車の旅・・・心が和む。北海道の秋・・・心が靜かに落ち着いてくる。木々が色づき始めてゐる。樣々な思ひが去來する。今日の川はどういふ川だらう。一體どんな事が起こるのだらう。考へるだに心が時めいてくる・・・今日もかうして、私は少年に戻る。美々着十時半。無人驛。誰もゐない。降りたのは私一人。乘つた人もゐない。ゆつたりと荷物を下ろし、椅子に腰掛ける。
若い頃、特に大学時代、熱心に読んだ小林秀雄。最近、ふとしたことから、全集所収の『ゴッホの手紙』を読んでゐる。或いは再読かもしれない。これは面白いと言ふより寧ろ苦しい。余りにも悲劇的なゴッホの人生が迫って来て苦しい。「人はかうまでして絵を描かねばならないのか・・・かうまでして生きねばならないのか・・・」どうしてもそんなことを思はずにはゐられない。そんな手紙の数々である。小林秀雄による手紙の長い引用と評論とから成ってゐるのであるが、いつの日にか『ゴッホ書簡全集』を読んでみたい。
(注1) 一昨日の文章中に「エリス」と書いたが、それは鴎外の『舞姫』の中での名前であり、正確には「エリスのモデルとなった女性」とでも書くべきであつた。
(注2) 同じく、鴎外と漱石の語学力を比較して書いた部分があつたが、筆者の真意は「留学当初の会話力の違ひ」といふことにあるのであつて、両者の「語学力そのものの比較」にあるのではない。言ふまでもなく、両者の本質的な語学力は、ともに恐るべき高度なものであり、真に驚嘆すべきレヴェルであつたと思はれる。筆者の知る限り、この両者に匹敵する程のレヴェルだつたのは南方熊楠くらゐであらう。
「事実の重さ・・・書簡を読む楽しみ」(1)
現在、『漱石全集』、『西田幾多郎全集』所収のそれぞれの「書簡集」を読んでゐる。実に面白い!先日何年がかりかで『鴎外全集』所収の「日記」を全て読み終はったが、これまた実に面白かった!特に面白かったのはドイツ留学に纏はる『独逸日記』、『還東日乗』(帰り)、『航西日記』(行き)の日記。さうして、それらとイギリス留学時代の漱石の書簡の対比。ドイツ語でドイツ人と議論し、ドイツ人の前で演説までして称賛される鴎外と英語が自由に話せず、聞き取れず、下宿に引き籠る漱石。『舞姫』のモデルとされるエリスと恋愛し、日本にまで追って来られた鴎外と大学へも行かず本を買ひ集めるばかりで、一時は発狂したとまで言はれた漱石。二十代で独身だつた鴎外と三十代で既に妻子ある身だつた漱石、といふ違ひはあるだらうが、この明治を代表する、否、近代日本を代表する二人の巨人、余りに偉大な二大文豪・大思想家のこの違ひは何なのか・・・興味は津々として尽きない。近いうちに、『鴎外全集』所収の「書簡集」を読み始めるつもりである。恐らく、更に興味深い様々な事実が浮き彫りにされるはずである。楽しみでならぬ!